ヒルシュスプルング病とは
ヒルシュスプルング病とは、腸の動きを制御する神経節細胞が生まれつきにないために便秘になったりして便がうまく通過できない病気です。
娘は産まれて2週間で、ヒルシュスプルング病疑いで入院しました。
結果的にヒルシュスプルング病ではなかったのですが、参考までに記録しておこうと思います。
元気に産まれてきたはずの娘
今から3年前の初夏。私は娘を出産しました。
私は女の子がほしいとずっと思っていて、娘が産まれてきてくれて本当に嬉しかったのを覚えています。
小さめに産まれた娘でしたが無事に一緒に退院して家に帰りました。
それから1週間後の検診で体重があまり増えていないと言われました。
母乳は出ているし吸われている感覚もありましたのでとても不安でした。
助産師さんにミルクを足して様子をみて、また1週間後に来るように言われました。
そして1週間後。
この日私は娘のお腹が張っていることに気づきました。
ちょうど遠方から看護師の母が手伝いに来てくれていたので見てもらうとやはり張っているとのこと。
産院でお腹の張りがあることを伝え先生に診てもらいました。
先生に最後にうんちをしたのはいつか。1日何回くらいしているか聞かれました。
最後にしたのは昨日。1日1回でれば良い方でした。
考えてみれば産まれて入院している間も便が出ない日があり助産師さんに浣腸してもらっていました。
この日は浣腸をしてもらい整腸剤をもらって帰りました。
2日後。
うんちはでているもの相変わらずお腹が張っています。
1つ違ったのは母乳を飲む量が減ったような気がしたことでした。
私はもう一度産院で診てもらうことにしました。
この日は娘の出産時に寄り添ってくれた助産師さんがいました。
娘のお腹の張りと飲みが悪い気がすることを伝えるとすぐに診てくれて
先生に紹介状を書いてもらいすぐに総合病院へ行くように言われました。
そこからはあっという間で気づいたら総合病院へ向かっていました。
総合病院へ向かうタクシーに乗るときその助産師さんが声をかけてくれました。
「大丈夫だから。急なことでびっくりしてると思うけど落ち着いてね。」
そう言って手を握ってくれました。
突然のことでとてつもない不安に襲われていましたが少し落ち着くことができました。
総合病院で
総合病院へ着くとすぐに小児科へ案内されました。
診察してもらっていると先生がどこかへ電話をかけました。
そして先生が言いました。
今すぐ小児外科で診察を受けてください。
私は突然のことで気が動転していました。
初めての出産、始まったばかりの育児。娘はなにか病気なんだろうか。
必死で気持ちを落ち着かせながら小児外科へ向かいました。
このとき1人ではなく母が一緒だったことが救いでした。
小児外科に向かっているとき、1人のおばあさんに突然後ろから腕を掴まれました。
そしてこう言われました。
「赤ちゃんそんなに小さいのになにか病気?かわいそうに」
私は何も答えられずに逃げるように小児外科へ向かいました。
私が悪いのかと考えながら涙を堪えていると母にこう言われました。
「大丈夫。あなたにはこの子がいるし、この子にはあなたがいる。」
この言葉に私は随分救われました。
そして小児外科に着きました。
診察の結果、「ヒルシュスプルング病の疑い」ということでした。
とりあえずお腹に大量のガスが溜まっているということでガスを抜く処置をしてもらいました。
おそらく飲みが悪かったのは、お腹にガスが溜まっていたせいだということでした。
しかし、便秘なのは間違いないので明日から入院してヒルシュスプルング病かどうかの検査を受けるように言われました。
こんなに小さな娘が入院するのかと心が苦しくなりました。
帰宅して入院準備をしながらヒルシュスプルング病について先生がしてくれた説明を思い出していました。
胎齢5週〜12週ごろにかけて消化管の神経節細胞ができあがっていくようでこの過程でうまく肛門のほうまで分布しないことがあるそうです。私は妊娠初期になにかしてしまったのか、悪いものでも食べてしまったのかと考えました。考えすぎてこの日はほとんど眠れませんでした。
また、娘もお腹が張っているので少しづつしか母乳を飲むことができず、1時間に1回は泣いて起きていました。
検査入院
そして迎えた検査入院の日。
予定では1泊2日ですが、検査結果によっては入院が期間が伸びる可能性があると言われていました。
お昼から入院し、まずは注腸造影検査が行われました。
注腸造影検査では、お尻から造影して腸の太さを調べます。検査の間部屋の外で待っていたのですが
娘の泣き声が聞こえてきて私も泣きそうになりました。
1日目の検査が終了し病室へ入りました。仕事が終わった夫が晩ごはんの差し入れを持ってきてくれました。病院の決まりで付添は1人だったので面会時間ギリギリまで母と夫にいてもらい、翌朝はやくに母に来てもらうことにしました。
産後すぐでホルモンバランスも整わない中での娘の検査入院。
母が帰って1人になった私は不安でずっとテレビをつけて気を紛らわせていました。
翌朝、母がやってきました。
母の顔を見た瞬間ホッとしました。
この日は12時から直腸粘膜生検検査の予定だったので、朝8時ごろに最後に授乳をしたら検査が終わるまで授乳しないように言われました。もともと2時間持てば良い方だった娘は10時ごろにお腹がすいて泣き始めました。検査まであと2時間もあります。母が抱っこして寝かせてくれましたがまたしばらくして泣き始めました。思い返せばこれもなかなかにきつかったです。そして12時になりました。しかし、全然検査に呼ばれません。30分ほど待ったところで確認しました。すると、先生が手術でもう少しかかりそうだと。だったらそう説明しにきてくれればいいのにとも思いましたが、とにかく病室に戻ってひたすら泣く娘をあやしていました。そして13時半を過ぎたころ、ようやく検査に呼ばれました。
直腸粘膜生検検査とは、直腸の粘膜を少し切り取って神経に異常があるかどうか見るものだそうです。
検査が終わり病室へ戻ってようやく娘に授乳することができました。
しばらくして先生がやってきて、検査結果の説明をされました。
前日に行った注腸造影検査の結果、ヒルシュスプルング病ではなさそうということでした。
まだ直腸粘膜生検検査の結果が出ていないので確定ではないですがと。
私はとりあえず大丈夫なのかと安心しました。
しかし、娘は腸が普通よりかなり長いことがわかり、そのためガスがお腹に溜まりやすく便秘になりやすいとのことでした。
そのため、便を出しやすくする坐薬を使いながら家でお腹のガス抜きをする必要がありました。
今日はガス抜きのやり方を覚えたら退院していいとのことで、早速ガス抜きの仕方を看護師さんに教えてもらいました。
そして無事に退院することができました。
また1週間後に残りの検査結果を聞きに行くことになりました。
検査結果
そして1週間後。
母が帰ってしまったので夫に休みを取ってもらい病院へ向かいました。
検査結果はやはりヒルシュスプルング病ではないということでした。
この日私はようやく心から安心することができました。
しかし、便秘であることには変わりないので、引き続き坐薬を処方してもらいガス抜きをしながら
定期的に受診し経過を見ることになりました。
先生には3歳ごろには落ち着くと思うと言われ、正直先は長いと思いました。
その後、娘は無事に産まれた産院で1ヶ月検診を受けることができました。
先生と助産師さんたちに心配していたと言われ、たくさんの人が娘のことを気にかけてくれていたのだと知り嬉しくなりました。
まとめ
現在娘は3歳になり毎日元気に過ごしています。
気づけばあのときまあだまだずっと先だと思っていた3歳になっていました。
あれだけ心配していた便秘ですが、今は薬なしで自分で排泄できるようになりました。
トイトレも終わり、自分でトイレでうんちをしている姿をみるとちょっぴり泣きそうになります笑
あのときはこんな日がくるなんて想像もできませんでした。
娘が薬なしで排泄できるようになるまでには本当にいろいろなことがあったのですが
それはまた別の機会にお話したいと思います!
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